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顔が猿、からだが虎、しっぽが蛇といった魔物を藤原高光が退治したという伝説によるもので、魔物って本当は何?魔物は何を意味した伝説なのか? なんてことを考えてみるのも面白いですね。
魔物退治伝説は、もともと、ここ高賀山麓にある神社(六社)に共通した内容の伝説があって、今に伝えられています。
その魔物は、牛の角をもった大鬼(牛鬼)であったり、雉の鳴き声をする大鳥であったりで「猿虎蛇」を明言して書物に残している神社はありません。
☆では、なぜ高賀神社に猿虎蛇伝説があるのか疑問になりますよね。
「猿虎蛇伝説」については、平安時代、源頼政が京の都で「鵺」(ぬえ)退治をした伝説があり、その「鵺」はまさに「猿虎蛇」と同様に「頭はさる、胴はたぬき、足は虎、尾は蛇」という具合でそっくりなのです。
高賀の「猿虎蛇伝説」は、古文書としては何も残っておらず、口伝によるものであり、推察されることは、江戸時代に都の「鵺退治伝説」がこの地にも広まり、高賀の妖魔退治=「猿虎蛇退治」と単純化して源頼政ではなく、「高賀宮記録」(高賀神社の縁起を記した古文書)にある藤原高光がこの妖魔を退治したという話に置き換わって伝えられてきたのではないかと推察されます。
※「高賀宮記録」詳しくはこちらへ
http://www.horado.com/kouka/miyakiroku.html
☆どうして魔物退治伝説が高賀の郷にあるのか?
魔物退治の残る地域というのは、概ね反王権勢力のあった所と考えられます。
元来、高賀は、高賀山自体を祭神とした山体信仰の場所で、23の祭神から推察すると、王権による地域制圧の象徴として高賀神社が創建されたのではないかと考えられます。
この時代、都では藤原一族(藤原不比等)が、朝廷を実質支配しいてく時期であり、都から旧勢力を一掃し、反藤原勢力をすべて「鬼」と称して討伐していった時期なのです。・・・つまり反藤原勢力「鬼」や「魔物」として、主に吉野の山中に身を隠し、修験者や後世の甲賀や伊賀(高賀も地名がにてますね。)に代表される忍者として、社会の裏組織を構成し、表社会の権力者を揺さぶり続けていったのです。
高賀山一帯も、高賀山信仰の修験者の地として有名な聖地です。そこから考えられることは、この地に反藤原勢力または、まったく異なった社会、たとえば白山信仰の影響があるとするならば、渡来系の民族が支配していた地域が存在し、都から、藤原氏の軍勢が、「鬼退治」と称してこの地に軍隊を送り込み、その「鬼」と称される人たちを討伐した。それが、「高賀宮記録」にある「牛角を持った大鬼」を退治した伝説となっているのではと考えられます。
一地方の伝説を、いろんな角度から推理してみるのもなかなか面白ですね。
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