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feed 六十六部廻国供養塔 (2008-2-16 17:06:39)

廻国供養塔


「六十六部」とは単に「六部」ともよばれ、六十六部廻国聖のことを言います。

大乗妙典(法華経)を六十六部書写して、これを持って全国六十六ヶ国を巡り、国ごとに、代表的な寺社一ヶ所に一部ずつ経典を奉納することを六十六部廻国供養といい、その者たちを六十六部と呼び、略して六部と呼んだ。


    
刻銘 南闘浮堤大日本東仙道美濃国武儀郡洞戸郷
       天下和順日月清明
   奉納 大乗妙典日本廻国供羪塔 
      風雨以時灾〓不起
   宝暦十一 辛己 歳 八月佛祖日 片村行者通外碩圓
      
  高さ180センチ 幅80センチ


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''' ◇ 上のキリーク(梵字)は、釈迦如来を意味します。 '''


この廻国供養塔は、自然石に刻まれたもので、地元の言い伝えによると、行者碩圓は立派な修験僧だったとする説と、廻国途中の乞食坊主で、この洞戸片の地で行き倒れになったため、哀れんだ地元の者が建立したとの説があります。
いずれにしても、当時の庶民がこれだけの石塔を建立するには、それ相当の財力が必要であったと思われます。
この付近は、字名を''' 「木地屋敷」 '''といって、「木地師」・・「修験者」と関係の深い地名であるため、この地出身の修験者だったのかもしれませんね。

''' ◇所在 関市洞戸片 (〓岐阜カクダイ製作所前) '''


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刻銘 六部千人供羪塔羪塔
   文化十四年丁刃二月吉日     
   当村願主 河合彌三郎
台座   備州 常治
     泉州 法然
     伊州 了円
     世話人
     江戸 松五良
     長崎 辰右エ門
     伊州 予三吉
      
  高さ150センチ 幅50センチ


この廻国塔については、「ドウ山と石仏群」で書きましたが、周りに草木が生茂って正面の刻字がはっきり読めません。

廻国者即ち、六部に宿を貸すことが功徳とされている事から、千人の六部に宿を貸した満願の記念とて、願主河合氏が建立したものです。
 
台座には、世話人として江戸、長崎、備州、伊州と刻まれていることから全国からここ洞戸に廻国供養に来ていたのかとも思えますが、美濃国を代表するような寺社が洞戸にあったのか疑問です。

洞戸には、高賀宮(蓮華峯寺)がありますが、隆盛期の鎌倉、室町期を得て、近世には衰退していたであろう高賀宮に、それだけの行者が来ていたのか定かではありません。

ただ、近世の洞戸郷は、中心地の市場・通元寺地区には旅籠や飲食店、炭や薪、紙問屋が立ち並ぶ商業施設の整った町となっていたため、多くの旅人を受け入れる事は可能であったようです。

''' ◇所在 関市洞戸市場(通称ドイ山)'''


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文政十一年戌 行者
刻銘 奉納 大乗妙典日本廻国
      三月二十六日 当村 了清
   高さ103センチ 幅60センチ

この廻国塔は、了清という行者が廻国供養の満願達成の証に建立したものと思われます。
所在は、金毘羅神社の入り口の山裾にあり、近世の洞戸ではこの金毘羅さんへのお参りが盛んであったこともあり、良く目立つ場所に建立したようです。

''' ◇所在 関市洞戸通元寺 (通称 金毘羅山入り口) '''


 
この他にも、関市洞戸菅谷地区の国道256号沿いに一基「日本廻国供羪塔」があります。
狭い洞戸地区に近世時の「廻国供羪塔」が四塔もあることがとても特異なのだと思われます。


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