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高賀神社には本殿と若宮八幡社の二つの社と、三つの小宮(大行事神社・月日神社・牛頭天王社)が祀られています。
その本殿の扉には、三つの社紋が彫り込まれています。
本殿の一番中央に「五七の桐」の紋、その両脇に「十六菊」の紋、そして一番外側に「剣花菱」の紋が刻まれています。
菊の紋は、天皇家の紋として使われており、高賀神社創建が霊亀年間、元明天皇の命であるとのことから、菊の紋章があるのであろうと推察します。
桐の紋は、古くから菊の紋と並んで名誉ある紋章として尊重され、菊の紋章の副紋として扱われてきたもので、菊の紋と併用して社紋として使用している場合が多々あります。
花菱の紋は、大陸伝来の文様であり、正倉院の宝物の織物にこの文様が使われていて、これを最初に家紋として使用したのが甲斐の武田氏だと言われています。
現在の高賀地区で剣花菱紋を使用している家はなく、ちなにみに、高賀神社の第40代目神主、武藤家の家紋は剣片喰(けんかたばみ)です。・・・・40代目の神主さんてスゴイですよね!!
この剣花菱紋と高賀神社を結びつけるものは、今のところ何も解っていません。
ただ一つ気になるのは、花菱の紋様は「大陸伝来」の模様という点です。「高賀宮記録」に出てくる妖魔の正体が大陸からの渡来人であったなら、そしてその子孫が花菱の文様を使っていたとしたら、高賀の郷の伝説も新しい展開になっていくのですが・・
その本殿の扉には、三つの社紋が彫り込まれています。
本殿の一番中央に「五七の桐」の紋、その両脇に「十六菊」の紋、そして一番外側に「剣花菱」の紋が刻まれています。
菊の紋は、天皇家の紋として使われており、高賀神社創建が霊亀年間、元明天皇の命であるとのことから、菊の紋章があるのであろうと推察します。
桐の紋は、古くから菊の紋と並んで名誉ある紋章として尊重され、菊の紋章の副紋として扱われてきたもので、菊の紋と併用して社紋として使用している場合が多々あります。
花菱の紋は、大陸伝来の文様であり、正倉院の宝物の織物にこの文様が使われていて、これを最初に家紋として使用したのが甲斐の武田氏だと言われています。
現在の高賀地区で剣花菱紋を使用している家はなく、ちなにみに、高賀神社の第40代目神主、武藤家の家紋は剣片喰(けんかたばみ)です。・・・・40代目の神主さんてスゴイですよね!!
この剣花菱紋と高賀神社を結びつけるものは、今のところ何も解っていません。
ただ一つ気になるのは、花菱の紋様は「大陸伝来」の模様という点です。「高賀宮記録」に出てくる妖魔の正体が大陸からの渡来人であったなら、そしてその子孫が花菱の文様を使っていたとしたら、高賀の郷の伝説も新しい展開になっていくのですが・・
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