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郷土展望講演会「近世臨済禅は洞戸から」
郷土展望講演会「近世臨済禅は洞戸から」高ヒット
投稿者mms-tmms-t さんの画像をもっと!   前回更新2010-9-19 18:48    
ヒット数3733  コメント数(1)    0.00 (投票数 0)0.00 (投票数 0)
 9月18日(土)、(洞戸生涯学習センター)第6回郷土展望講演会に行ってきました。
講師は、市場興徳寺住職 山本文剛氏(板取田口在住)。山本住職は、歴史学、地質学、植物学等大変な博学者で洞戸の歴史にも大変詳しく、この日の講演内容
は、「近世臨済禅は洞戸から」と題して行われました。

 現在の臨済宗の多くは、洞戸の興徳寺、梅泉寺で修行した「隠山」の教えが現代まで連綿と続いているということや、近世禅の四つの法系のうち、古月、白隠、盤珪の三つまでもが、洞戸の興徳寺、梅泉寺で受け継がれており、それを一身に受け、世に出てその教えを広めたのが隠山であったこと。

 さらには、当時の洞戸の禅寺には高僧が何人か存し、その下へ多くの雲水が訪れた。それを受け入れるだけの経済力と、洞戸民の文化水準の高さも想像以上であったのではとのお話が聞けました。

 今年で90歳を迎えられるとはとても思えないほどお元気な山本和尚さんでした。洞戸、板取地区の歴史研究はまだまだこれから続けていかれるそうです。

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コメント一覧

montas  投稿日時 2010-9-19 21:28 | 最終変更
私も楽しみながら聴かせていただきました。近世の臨済宗と切っても切れない歴史が洞戸にあったとは感激です。
洞戸で育った隠山が長屋家の養子だったことを、山本和尚自身が洞戸にあった梅泉寺の襖の裏張りを読み解いて発見されたという下りは知的好奇心を大いに駆り立てられました。

ただ、仏教用語も多く少々難解だったかな。
もっと皆さんに禅についても知ってもらえれば、より興味を持ってもらえそうです。 mms-tさんの力もお借りしてもっと洞戸の仏教文化を広めないといけませんね。

でも、今回の和尚の語り口、難解だっただけに、禅問答を聞いてる様で味わいがありました。
その真骨頂と言えたのは、講演後の質疑応答の中で飛び出した「死後の世界はあるのでしょうか?」との質問への反応。
和尚が「いい質問ですね」と言われて、ホワイトボードに更々と書きしたためられたのが
「慧玄(えげん)が這裏(しゃり)に生死なし」の文字。
そして「生と死は同じもので区別するものではないから、死後という観念はない」と言う風におっしゃいました。
細かくは説明されないお応えが、禅問答の様で奥深い。。

私も知らなかったので調べてみたら、これは臨済宗の本山、妙心寺を開いた慧玄禅師(無相大師)が残した禅の本質を説いた有名な言葉でした。
この言葉は、生死の問題に悩み、教えを請いに来た新参僧を慧玄が追い払ったときの言葉とされ、「ここには生も死もないから帰りなさい」という意味で、僧の生死への執着を断ち切ろうとした教えとされています。
生と死をキリスト教やその他多くの宗教の様に二元化して考えない、禅の根源とも言える考え方のようです。
日本人は無宗教とよく言われますが、案外、死後の世界に懐疑的で絶対的な神の存在を受け入れないのは、こうした禅宗のDNAが日本人に受け継がれているからなのかもしれません。

実は私も、由緒ある臨済宗興徳寺の檀家なのですが、禅がこれほどに奥深いものとは。。 お恥かしい限りです。

しかし、得るものが数多あって凄すぎます。 郷土展望講演会


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