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河合君次

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通常 河合君次

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2005-11-8 22:23
omuto  新人   投稿数: 20
 大正時代の早稲田大学野球部の名選手で、戦後も早稲田野球部OB会の会長を務めるなど、活躍をされた河合君次さんについて、飛田穂州の「熱球三十年」から引用したいと思います。

 河合君次は、岐阜中学の外野や投手として、東海連合大会などに出場したのであるが、彼の名をなしたのは、野球よりもむしろ相撲であって、中学力士としては東海有数の闘士であったらしい。
 頑強な体を持っていたが、目立つほどではなく、はるか外野の隅に球を拾っていた彼を誰も認めるものがなかった。(中略)
 ある日選手の練習が終わってまだ時間があったので、私は初めて新入選手を外野に集めてノックを打った。(中略)特にこれというものもなかったが、一人右翼にがんばっている一人の部員がいつまでも疲れない。それに私は引きつけられて、ついにこの一人を外野に残して打ち続けた。
 打っても打ってもへこたれない。さてはノッカーの穂州とその新入部員との根くらべになった。(略)私は二つ三つ連続して球を打つ。それをはうようにして拾いにいく。もう降参するであろうと思うと、手をあげて打ってくれという合図、ついに暗くなって引き分けた。
 それが後年の河合君次であった。
    (中略)
 河合などを私は決して天才とは思っていない。彼にもし人一倍の忍耐心がなかったなら、満足に飛球をとれる野球選手とはなれなかったであろう。比較的硬い体質の彼が、前後左右の打球を広範囲に守った手腕は、汗によって作られた以外なにものでもない。後年選手生活を終わったとき、彼は私にこういって述懐した。
「あのときの苦しさったらなかった。本当にあなたのすねにボールをたたきつけてやろうと思って、ボールをホームに返したのですよ。あなたのすねをたたき折ったら、ノックをやめてくれるであろうと思ってね。今になれば相すまんことですが、全くでした」(中略)
「あの、あなたのすねを狙って投げた球が、私の遠投のコントロールをどれだけ助けたでしょう。私が外野手らしい投球を完成したのは、あなたのすねですよ」(中略)
 河合は三塁に走者を置き、右翼飛球で容易に本塁を許さず、また二塁の走者は右翼へのシングルでは生還し得なかった。

 右翼手で強肩というとまるでイチローのような選手だったのかと想像します。素人同然で名門野球部に入部して、忍耐心一つではい上がっていく。監督のすねの骨を折るためにボールを投げ続けたという部分の迫力は尋常ではありません。
 今の洞戸の子どもたちに、こんな大先輩がいたことを是非とも知ってほしいと思います。
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